天禄2(971)年4月8日第64代円融天皇が比叡山講堂落慶法要の砌当山のあたりに紫雲がたなびく
のを眺められて聖地なるを感じられてここに堂宇を結ぶように命じ、勅願寺「大雲寺」が創建された。
行基菩薩作の「十一面観音」を本尊とする観音院をはじめ、四十九の堂塔伽藍と千人に及ぶ僧を擁した
洛北屈指の名刹と称された。
大雲寺の観音様の霊験は広く朝野の尊信を集め今日なお、ご利益を求める善男善女の参拝は絶える
ことない。 また、紫式部の「源氏物語」「太平記」 井原西鶴の「好色一代女」等文学作品の舞台とし
ても大雲寺は多く登場する。宋に渡った大雲寺5世成尋阿闍梨が著した紀行文「参天台五台山記」並びに
その母の句集は、日本と中国の文化史上不朽の名をとどめている。
平安時代、南北朝、室町時代、戦国時代と再三再四の兵火に焼かれ、都度不死鳥のごとく再興をなし
昭和の法難と称される「大雲寺事件」の後、昭和60年に成尋開基の宝塔院旧地に仮本堂を結んで現在
再興途中である。