KYOTO DAIUNJI

大雲寺の歴史

大雲寺の歴史

       大雲寺古図(応仁の乱以前)

 

 今から千余年前、円融天皇が比叡山に行幸された砌、当山のあたりに紫雲がたなびくのを眺められて聖地なるを感じとられ、ここに堂宇を結ぶことを許された。
行基菩薩作の「十一面観音」を本尊とする観音院をはじめ、四十九の堂塔伽藍と千人に及ぶ僧を擁した洛北屈指の名刹と称された。
大雲寺の観音様の霊験は広く朝野の尊信を集め今日なお、ご利益を求める善男善女の参拝は絶えることない。
 また、紫式部の「源氏物語」「太平記」 井原西鶴の「好色一代女」等文学作品の舞台としても大雲寺は多く登場する。宋に渡った大雲寺5世成尋阿闍梨が著した紀行文「参天台五台山記」並びにその母の句集は、日本と中国の文化史上不朽の名をとどめている。
 平安時代、南北朝、室町時代、戦国時代と再三再四の兵火に焼かれ、都度不死鳥のごとく再興をなし、昭和の法難と称される「大雲寺事件」の後、昭和60年に成尋開基の宝塔院旧地に仮本堂を結んで現在再興途上である。


昭和50年代の大雲寺

 

                         大雲寺本堂(寛永18年建立) 旧伏見城の遺材を以て建築する                 

 

 

 

          本堂正面                   参     道               鐘     楼

 

大雲寺の歴史記事一覧

大雲寺年表

時代和暦西暦月日記         事逆算(年前)奈良天平年間733本尊秘仏十一面観音 行基作1284平安延暦13年794桓武天皇 平安遷都1223天安2年8588/2国宝大雲寺梵鐘 鋳造銘1159天禄2年9714/2円融天皇が比叡山延暦寺講堂落慶法要の砌、当山に霊雲を眺められ日野中納言藤原文範(ふ...

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人物

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